ハワイの森とカヌー その2…
ハワイの森とカヌー その2
「ハワイの森とカヌー」シリーズでは、伝統的な素材で作られたカヌー「ハワイロア」の物語をお伝えしています。今回は、ハワイの森では見つからなかったカヌーの素材となる木を提供しようと申し出てくれた、遠く離れたアラスカの先住民たちの思いやりの心と、アラスカの地の力強い自然について語ります。
「ハワイの森とカヌー」シリーズでは、伝統的な素材で作られたカヌー「ハワイロア」の物語をお伝えしています。今回は、ハワイの森では見つからなかったカヌーの素材となる木を提供しようと申し出てくれた、遠く離れたアラスカの先住民たちの思いやりの心と、アラスカの地の力強い自然について語ります。
ハワイの森、アラスカの森
ハワイの森でコアの大木を見つけることができなかったナイノアたちに手を差し伸べたのは、遠く海を隔てたアラスカの地に暮らす先住民たちでした。
ハワイの森にカヌーを造るだけの大木が残っていないという話を聞いたアラスカ先住民たちが、アラスカの森からシトカトウヒの木を寄付しましょう、と申し出てくれたのです。
申し出てくれたのは、SeAlaskaと呼ばれる、アラスカ南東部に居住するクリンギット族、ハイダ族、チムシアン族によって運営されている団体でした。
クリンギット族、ハイダ族、チムシアン族は、アラスカ東南部に、一万年以上暮らしてきました。彼らの先祖は、食糧調達や移動のために手段として水域を利用し、水上移動に優れていました。水上移動に用いたのは、森に高くそびえるヒマラヤスギから作ったカヌーでした。森の木々は、彼らの住居や道具を作るためにも使われてきました。
工芸にも優れた東南アラスカ先住民たちは家系に関わる紋章や、伝説や物語の登場者など、文化的な伝承を柱状の木造彫刻に表した「トーテムポール」でも有名です。
アラスカの先住民たちは、数週間かけて森を探索し、カヌーを造るのに十分な大きさのある木を見つけ出しました。
大木が見出されたことを受けて、アラスカに招かれたナイノアは、その自然の雄大さや手つかずの野生など、それまで目にしたこのない大自然の美しさに圧倒されました。ナイノアとアラスカ先住民の一行は、アラスカのケチカンからセスナ機に乗り、大木のある森へと向かいます。セスナ機から眺める見渡す限りの大自然、草原を悠々と歩く野生のクマの姿などに、ナイノアは目を奪われました。
「アラスカがどれほど力強い場所であるのか、直感的に理解することができました。他のどの場所とも違う、何とも表現のできない魅力のある場所です。場の持つ精神性が高く、とても謙虚な気持ちになりました。野生が残り、自然があるがままに美しく残っています。
ハワイの島々、特にオアフ島で起こっている変化について考えずにはいられませんでした。無謀な開発の数々、そしてそれに対して自分たちが何もできていないことについて。子供の頃、ハワイに生まれたことをとても幸運に感じていました。今でもそう感じてはいます。けれども、私が小さい頃、健全な状態だったマウナルア湾のサンゴたちは今、もうみな死滅してしまっています。
アラスカとハワイの違いについて考えました。その大きさ、その資源、そしてそれを人々がどのように扱ってきたのかについて。自分がアラスカになぜここまで惹かれるのかについて。アラスカは私に活力を与えてくれる場所です。」
巨木を前に揺れた決断
カヌーの建造に必要なのは、高さ20メートル程、直径2メートル半ほどの木でした。けれどナイノアの案内された森で、アラスカの先住民が指差した木は、高さ67メートルもある大木でした。
「それまで見たこともない、とてつもない大きさの常緑樹でした。息をのむほどの迫力でした。」
大木を前に佇むナイノアに向かって、先住民が言いました。
「この木を切りましょうか?」
ナイノアは答えることなく、ただ無言で佇んでいました。
「どうしてもその木を切りたいと思うことができませんでした。何かが違っていました。その森の木々はあまりにも美しく、生命に満ちていました。自分たちのプロジェクトの価値が、その木を切り倒すだけの価値があるのだろうか。」
はっきりとした答えが分からないまま、先住民の問いかけに対して、何も答えないナイノアに、先住民たちも静まり返りました。
「ほとんど「いいえ」と言っているようなものでしたが、何も言うことができなかったのです。私は困惑してしました。とても困難な時間でした。私が「はい」と言えば、彼らはその大木を切り倒していたでしょう。けれど私にはまだ、その木を切り倒すという責任を背負う心得ができていなかったのです。」
ナイノアと先住民一行は、そのまま木を切り倒すことなく、森を後にします。
帰りのセスナ機ではみな困惑し、誰一人、言葉を発することはありませんでした。
(その3へ続く)