Nāmāhoe vol.3ー日…
Nāmāhoe vol.3ー日本とハワイと繋ぐカヌーナマホエ
カウアイ島には2009年にはじまり10年以上も日本の商船高等専門学校の学生が訪れている。 カウアイの航海カヌーNamahoeを建造するNPO団体が受け入れ先となり、ハワイの伝統航海術やカヌー建造、そして、カヌーを中心として広がるハワイの歴史や文化を、地元のクルーたちと共に体験し、学び、そのプログラムをIkena Kahuaと呼ぶ。
カウアイ島には2009年にはじまり10年以上も日本の商船高等専門学校の学生が訪れている。 カウアイの航海カヌーNamahoeを建造するNPO団体が受け入れ先となり、ハワイの伝統航海術やカヌー建造、そして、カヌーを中心として広がるハワイの歴史や文化を、地元のクルーたちと共に体験し、学び、そのプログラムをIkena Kahuaと呼ぶ。
Ikena Kahuaというプログラム
カウアイ島には2009年にはじまり10年以上も毎年3月日本の商船高等専門学校の学生が訪れている。商船高等専門学校は日本に51校ある国立高等専門学校の一部で、日本には北から富山、鳥羽(三重)、広島、周防大島(山口県)、そして愛媛県の弓削に合わせて5校ある。島国である日本の海運業を支える海のプロを高校の3年間とその後の2年の合計5年かけて育成する日本独特の教育期間で、その教育の一貫として学生たちは独立行政法人海技教育機構のもとで合計一年程の船での乗船実習も受ける。その商船高専の学生たちがここ10年毎年カウアイ島を訪れ、ハワイ大学カウアイコミュニティカレッジ、そして、カウアイの航海カヌーNāmāhoeを建造するNPO団体が受け入れ先となり、ハワイの伝統航海術やカヌー建造、そして、カヌーを中心として広がるハワイの歴史や文化を、地元のクルーたちと共に体験、学んでいる。そのプログラムはʻIkena Kahuaと呼ばれている。
はじまり
2007年1月ホクレアはOne Ocean, One People というメッセージと共にミクロネシアそして日本に向け出航した。その日本航海を日本の海のプロとして支えた人たちがいた。その一人が当時国土交通省航海訓練所(現独立行政法人海技教育機構)の奥知樹一等航海士(以降ともさん)さんだった。ホクレアの伴走船に乗船しホクレアの航海をサポートしたともさんは、その航海後すぐに母校である国立富山商船高等専門学校(以降富山商船)に出向し、船乗り志望または海運業界で仕事を考える学生たちの先生となった。ともさんが担任となったそのクラスは、学校でも有名な「悪ガキ」たちのいるクラスだった。授業をサボったり、時には問題をおこし、退学寸前の学生たちもいた。長年練習船で海という生死を分ける厳しい環境の中で学生を指導してきたともさんに白羽の矢が立ったようだった。その時の様子をともさんは振り返る。「クラスは本当に荒れていた。でも一見悪そうな学生たちだけど、よくみてると、学校の教員以外の校務員のおじさんやおばさんにはきちんと挨拶してるんです。そんな学生の姿をみて、うまく言葉では説明できないけど、僕がホクレアで体験したこと、それを彼らにも体験させたいと思ったんです。」
ともさんはその年、ハワイで実施されていたホクレアのクルートレーニングに参加をした。その時のCaptainがホクレアのベテランクルーでありカウアイの航海カヌーNāmāhoeのリーダーのデニス・チャンだった。デニスはハワイ大学のカウアイコミュニティカレッジでハワイ学を教える先生でもあった。初対面であったそのかれに「うちの学生をハワイに連れてきて、カヌーを体験させたい」とともさんはつたない英語で伝えた。「Sure, bring’em いつでも連れてこい」とデニスが返事をした。それがすべてのはじまりだった。
左から、奥知樹、池田恭子、デニス・チャン
遠藤真先生・Visionary
とはいえ、学生をハワイに送るためには日本の学校におけるさまざまなハードルを越えなくてはならなかった。ハワイに学生を連れていくといえば、観光地としてのハワイのイメージが先立ち、まともに相手にしてもらえなかった。そのとき、ともさんを信じ、また、ハワイでのプログラムの可能性を信じ、全面で応援してくれたのが、当時富山商船の学生主任の遠藤真先生だった。遠藤先生は、真のVisionary(将来を見据え、そのために何をすべきかを理解している)であると同時に縁の下の力持ちとして、このプログラム実現に向けて学内そして学外の調整、そして、長期的な実施体制作りに尽力してくださった。遠藤先生の支えもあり、異例のスピードで富山商船とハワイ大学カウアイコミュニティカレッジの間に協約書が結ばれ、2009年の3月に第一期生の学生がカウアイを訪れることになった。そのグループの中には、ともさんのクラスの「悪ガキ」たちも含まれていた。カウアイで受け入れをしたデニス・チャンはその彼らの第一印象をこう語る。「リフエ空港で彼らをはじめてみたとき肩で風を切って歩いていたのが印象的だった。」
プログラム(カウアイ島)
カウアイでのプログラムは、最初の2週間はハワイ大学カウアイコミュニティカレッジ(以降KCC)が受け入れ団体となり、午前中は英語の授業や、デニスの教えるハワイ学のポリネシア伝統航海術のクラスを地元の学生たちと混ざって受講したり、日本語を学ぶ大学生との交流をしたりした。午後は、カウアイの航海カヌーNāmāhoeの建造作業やホクレアのクルーでライフセイバーでもあるケアラ・カイによるOcean Trainingに参加した。また、生活はコンドミニアムに滞在しながら、カヌー上での生活を模して、ワッチ(当直)ごとに交代で食事をつくり、みなそろって食事をした。授業、午後の活動、生活のしくみ、ひとつひとつに意味と意図があり、一つのプログラムにまとめられていた。その一番大切な指針が航海カヌーのあり方でもある「共にあること」の豊かさ、強さ、そして健やかさを体験する場作りだった。
カウアイコミュニティカレッジの航海術のクラスで地元の学生との共同作業の様子
学校の中では先生と生徒、または「悪ガキ」「よくできる学生」などそれぞれの役割、アイデンティティ、レッテルを通して人とつながっていたが、こうして海外にでて海での体験や毎日の食事などさまざまな体験を共にしていくなかで、もっと素の部分、人間として、つながっていく。また、日本でははずかしくて、「かっこ悪くて」できなかった、共同作業とか助け合いとかが、なんだか自然にできるようになっていく。そして、自分の中に、これまでとは違うあり方を望む自分がいることにも気づいていく。自分の中に風が通る、新しい種がまかれていく。カウアイでの時間はこれまでの関係性を越えて、信頼できる、安心できる一つの家族・オハナになっていくプロセスでもあった。
ナマホエの建造作業の様子
プログラム(ハワイ島)
2週間のカウアイでのプログラムが終わると、今度はハワイ島でおこなれる航海カヌーのクルートレーニングに参加。ハワイ島の航海カヌーであるMakaliʻiの団体がホストとなり、ハワイ島Kawaihaeの港にみなで野宿をしながらトレーニングを行う。ここでは、ホクレアをはじめとする航海カヌーの現役そしてベテランクルーも多く集まり、実際の航海を想定してのトレーニングが行われる。そんなトレーニングはハワイ語も多く行き交う場だ。そこに、まだ英語もままならない日本の学生たちは、ハワイ中から集まるクルーたちに交じりワッチ(当直)グループに分かれて4日間の活動をする。
ハワイ島でのクルートレーニングでは、カヌーの修繕作業などに加えて、航海の出入港時の様々なプロトコール(儀式)や、航海で船が転覆した際、または、船から落ちた場合を想定して、どれだけ体に負担をかけずに、助けがくるまで長時間海で自分たちの命を守ることを学ぶ訓練なども行われる。また航海に関わるハワイ島の聖地をみなで訪れ、そこに伝わる歴史を地元の長老たちから聞いたりもする。
生活はカヌーの生活を模して、ワッチごとにみんなのための食事を作ったり、トイレ掃除などの役割を渡していく。寝るのは、夜空の下。時には航海時のような強風や雨にも襲われたこともある。そして、最終日はワッチごとに、このトレーニングで学んだことを面白おかしく発表するHoʻike(発表会)をし、みんなで大笑いしハワイらしくトレーニングを振り返っていく。言葉がうまく伝わらなくても、ワッチの仲間との共同作業を経て、なんだかたくましくなっていく、日本の学生たちがいる。そして、翌日の朝、みながそれぞれ来た場所に戻っていくそのとき、涙を流しながら、さよならをする。まっくろに日焼けした彼らの姿を見えていると、そこには風を切って歩くかつての姿ではなく、どこか力がぬけて、でも自身のある新たなる姿があった。
2009年に富山商船の学生向けのプログラムとして始まったこのプログラムは翌年には全5商船高専に開かれ、それから毎年約15名の学生を受け入れている。100人を越えるプログラム卒業生はいま日本の海運業を始めとする海事産業、そして自分たちの選んだそれぞれの道で活躍している。プログラムを10年以上見てきた富山商船の保前先生は「学生たちはこのプログラムを通して人間として大切な何かを感じとってかえってくる」という。学生たちなこのプログラムを通してどんなことを感じたのだろうか。ここで、学生の感想をテーマごとにまとめて紹介する。
体験すること
•「自分で手を出して、事柄に関わっていくことにより、自然に自信がついた。」
•「最初は「怖い」と思っていた生活にさえ幸せを感じるようになっていった。私は毎日大勢の仲間がいて、誰かと競って勉強することもなく、金のためになにかするでもないその生活が本当に幸せに思えた。」
優しさ
•「ハワイの人は航海した仲間、またそれに携わった人々を家族のように愛していた。ハワイ人の優しさはここからくるのだなと身をもって感じることができた」
•「人の本来の温かさに触れた事で、自分の冷たさをしった。誰からも優しいと思ってもらえるような大きな存在になりたいと思った。」
相互依存性/共にあること
•「「自分がこれをすると何がどうなる」という一つ先の事を考えて行動することがいかに大切かを実感した。」
•「1人では何もできない。みんながいるから一つのことを成しとげることができると改めて思った。」
•「今までは自分のことばかり考えて行動をしていたが、ハワイのプログラムに参加して、他人のことを考えて行動するようになった」
•「みんなで協力して一つの作業を行うことの大切さ、楽しさ。」
感謝/支えられるいのち
•「私を信じてくれた先生の優しさのおかげ。」
•「最後の夜。何を考えても必ずついてくるのが「感謝」だった。本当に誰かに生かしてもらっていることを身をもって体験することができた。」
•「思いやりで出来ているこのプログラムに参加できてよかった」
•「このプログラムで出会った全ての人たち、このプログラムに行かせてくれた親に感謝して、今回の貴重な経験を無駄にしないようにより成長した自分をみてもらえるように努めていきたい」
ʻIkena Kahuaの意味
このプログラムをつくった時に、ともさんがそこに託した想いに日本語の「温故知新」という言葉がある。一般的には、昔のことを学ぶことで、新しい道理や知識を見出すという意味を持つ言葉だが、ともさんはそれに加え「人間とし ʻIkena の根っこを知る」ことの大切さをこの言葉に重ねていた。その意味をデニスに伝えハワイ語になおしたのが、I(求める) Kahua(基盤) である。ハワイの航海カヌーの伝統、そして、それと共に生きる人たちとの活動や共同生活を通して、日本の学生たちに「人間としての根っこ」、人間として本当に大切なことを感じとってもらいたい、そんな想いがこのプログラムの名前に託されている。